「ミニマリスト」とは名乗りたくない
本題の前に。
「ミニマリスト」とはいったい何なのか。
持ち物をできるだけ減らし、必要最小限の物だけで暮らす人。
自分にとって本当に必要な物だけを持つことでかえって豊かに生きられるという考え方で、大量生産・大量消費の現代社会において、新しく生まれたライフスタイルである。
「最小限の」という意味のミニマル(minimal)から派生した造語。
知恵蔵より
ぼくの解釈でいえば、モノだけでなくあらゆるコトに対して
ミニマルな考えの持つ人、つまりミニマリズムな人が「ミニマリスト」だ。
そしてぼくも一般的に言えば、「ミニマリスト」ということになる。
でも「私はミニマリストですよ~」とは言いたくないし、
Twitterのプロフィールに「ミニマリスト」とはいれたくない。
はじめは違和感だった。
なんかかっこよくない。なんか違くないか。
理由がわからなかったから、考えた。
そこで、だいたいこんな理由なんじゃないかな、というとこまできたので、
記事にしようと思う。
「ミニマリスト」に肩書きをとられたくない
たとえば、今後ぼくが「ミニマリスト」と名乗って、ブログの書くとする。
いずれ、読者の方と出会うかもしれない。
そんなときに、会話の初めはこうだろう。
「ミニマリストのしばてぃですよね」
確かにシンボルとして、わかりやすい。
だけどぼくは「しばてぃ」として愛されたい。
「ミニマリスト」抜きにして、人として愛されたい。
そして、「ミニマリスト」がぼくの全てではない。
「ブロガー」「読書家」「ラブコメおたく」、
これらもあわせての「しばてぃ」だ。
「ミニマリスト」は有名になりすぎた
一時期、断捨離ブームがおこった。
そこで、「ミニマリスト」の方たちが注目されるようになる。
ブロガーなので、いろいろなブログを見てまわると、
外でアクティブに活動するため、カバンに入る荷物しかもたない人も
結構いる。
もう「ミニマリスト」の肩書きだけでは、目立てない。
生粋の目立ちたがりなぼくには、「ミニマリスト」の肩書きは弱い。
結論
「ミニマリスト」は何百人といる。「しばてぃ」は一人しかいない。
ぼくは「しばてぃ」として、自分の名を世に広めていきたい。
最後に、小説家の森博嗣さんの言葉。
人は自分の気持ちを精確には掴めない、と僕は考えているし、
また、そういう言葉があれば、その言葉に縋(すが)ってしまう、
という傾向が往々にしてあるとも感じている。
「ミニマリスト」は良くも悪くも有名なので、
もっとマイナーな言葉にすがりたいと思った。
またな~。